神を信じているからといって、人生に起こる試練を免れる事はありません。

CIMG3541.jpg東京のクリスチャンの姉妹からのメッセージです。

「驚き怪しんではなりません。」(1ペテロ4:12)

あなたの信仰は試されている

神を信じているからといって、人生に起こる試練を免れることはありません。信仰はあなたに起こる試練に耐えさせ、結果として、人生において強く成長させるのです。病気や、失業や、人間関係の不一致、個人的な課題から来る試練は、様々な形でやってきます。また、試練というのは短い期間のものもあれば、一生を通じて起こっていることもあります。さらに試練は、自然災害のように、強さのレベルも異なっています。しかし、多くの試練にも共通したことがひとつだけあります。試練が起こると、「なぜこんなことが起こったのか理解できれば!」と言います。聖書は以下の2つの箇所からそれに対する答えを出しています。
(1)「正しい者には災いが多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出させる。」(詩篇34:19)
(2)「いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、称賛と栄光と栄誉になることがわかります。」(1ペテロ1:6-7)
神はあなたのサンタクロースでも、召使いでもありません。あなたが求めている時に、あなたの欲しがっているものをすべて与えるのが神の仕事ではありません。もちろん、神は私たちに恵みを与えることを約束していますが、あなたが“もらうこと”ばかり気にしているときは、自分ほどもらっていない人々の信仰を疑うことになります。しかし、それは間違っています。神の約束を主張すれば、災難を回避できるということではありません。誰がそんなことを言ったのですか?神はそのようには言ってません!聖書にはこう書かれています。「あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。」(1ペテロ4:12)本当の成長はしばしば痛みを伴う試練の中にあります。事実、あなたがその経験をしなければ、あなたは自分の信仰がどれほど強いか決してわからないでしょう。