巨人さんの書籍「師弟」のはじめに。。。から。
人には、自分の人生に大きな意味を持つ出会いと言うものが有ります、その最初の出会いは、自分をこの世に生んでくれた親や、兄弟肉親との出会いでしょう、もそう言う存在は、自分で選ぶ事はできません。
そんな出会いとは、又別に、肉親でも無い誰かを、特別な存在と思える様に成った時、歩んだ事の無い初めての道を歩み始める事が出来るのだと思います。
人生の伴侶もそうでしょう、自分自身が選んだその人を大切に思う!
それは 『情』がそうさせるのでしょうか。
僕にとってそう言う存在だった方が岡 八朗師匠です、両親・妻・家族は勿論大切ですが、八朗師匠は、又異なる、大切な存在でした。
岡八朗師匠は、吉本新喜劇の看板役者で、『奥目の八ちゃん』と言った方がピンと来る方も居られるでしょうね。
八朗師匠が舞台に立たれていたのは、昭和40年代から60年代の初頭の頃、今よりもっとテレビが娯楽の中心に有ったその頃、土曜日のお昼ともなれば、大阪の子供達は、吉本新喜劇を楽しみに走って家に帰ったものです。その頃、八朗師匠は、『隙があったらかかってこんかい!』『くっさ〜、えげつな〜』等のギャグを連発しながら、客席を、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んでいました。
弟子入りと言うのは、好きで尊敬する師匠に、頭をさげて、頼み込んでこの世界に入りますが、
僕の場合は、その形が一寸違ったんです。
今は漫才師に成るにも学校が有るので、もうこうした師弟の習慣は次第に消えつつあります。
それはそれでいい面もあります、でも、自分自身が何物にも変えがたい大切な方との出会いを得る弟子入りと言う形式が無くなりつつ有るのは勿体ない様な、寂しい気持ちに成ることがあります。
僕が八朗師匠に正式に弟子として付かせて頂いたのは実は一年にも満たない期間でした。
でもこの一年が濃密で、色んな事が詰まった時間でした!
そして、この時間こそが、その後の30年に渡る師匠と僕との関係を決定付け、僕自身の人生、生き方にも大きな影響を与えて行く事に成ります。
八朗師匠のためなら死ねる!
八朗師匠へ抱いたその思いはずっと変わる事はありませんでした。師匠が亡くなるまでずっと。
『師匠』とは、いったいどう言う存在なんだろう。『師弟』とは何だろう。
八朗師匠との日々の中に、その答えが有るのだろうか。
自分自身に問いながら、師匠と歩んだ31年を振り返ってみました。
メチャメチャ良い本です!是非、お近くの書店でお買い求めくださ~い!!
5月2日NGKの出番の合間に巨人さんに会いに楽屋見舞いに行きました!