Happy Easter! 復活祭、おめでとうございます!

 

4月24日(日)イースター  東京のクリスチャンの姉妹からのメッセージ引用させて頂きました。

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「イエスは…数多くの確かな証拠をもって,ご自分が生きていることを…示された。」使徒の働き1:3

確かな証拠

イエスさまの時代、大工は一つの仕事を終えると、手を洗い、亜麻布で手を拭き、亜麻布をたたんで仕上がったものの上に置いておくのが習わしでした。
この布は大工のトレードマークで、誰でもそれを確認すれば、仕事が終わったことが分かったのです。
イースターの日曜日、「ペテロも…墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは…離れた所に巻かれたままになっているのを見た。…そして…信じた」(ヨハネ20:6-8)

科学者によると、確かな証拠とは、繰り返し実験して何度も確認し、そのつど同じ結果であることから得られるものだそうです。
イエスさまが死者の中から復活したことを示す確かな証拠を5つ挙げましょう。
(1)マグダラのマリヤがイエスさまに会った
(2)墓に行った女たちがイエスさまを見た
(3)弟子たちがイエスさまと話をした
(4)使徒たちがイエスさまに会った
(5)五百人以上の人々が同時にイエスさまを目撃した
「イエスは…彼らに現れて、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを…示された。」
キリストの復活は私たちの救い礎であり、永遠の命への希望を支えるものです(ローマ10:9-10参照)。
パウロは次のように書いています。
「キリストは…私たちの罪のために死なれ…葬られ…三日目によみがえられ…ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数は今なお生き残っています…。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。
そして、最後に…私にも、現れてくださいました。」(第一コリント15:3-8)

バングラデシュで行われたあるイースター礼拝でのことです。
映画『ジーザス』のはりつけの場面を観て会衆が泣いていました。
すると突然、うしろにいた小さな男の子が飛び上がって叫びました。
「大丈夫だよ、イエスさまは生き返るんだ。ぼく見たもん!」
喜びましょう。今日はイースターです。

主はよみがえられました。そしてあなたもよみがえるのです!

桜が散って寂しいです。でも、桃の花が綺麗ですね!二人の方とのお別れ。

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今日、二人の人が行ってしまいました。一人は天国に逝ってしまった私の教会の兄弟のお父さんI.T.さん。もう一人は、9年間マンションの管理人さんを務めて頂いたMさん。彼は退職し、四国に戻られたのです。
今朝、私はバタバタと家を出ました。教会での告別式に参列する為、電車に乗り遅れないように。その時、管理人室の窓からチラッと管理人のMさんが私服を着ておられるのをお見かけしましたが、以前、20日までおられると伺っていたのと、マンションの住人さんと話しをしておられたので、そのまま、ご挨拶せずにマンションを出ました。
まず、教会での告別式は神様の愛に包まれていました。がんの為、闘病生活を3年されていたI.T.さん。8年前に70歳でクリスチャンとなり、詩吟で聖書の御言葉を歌っておられたテープが告別式で流されました。「私は力の限り、主を賛美する!ハレルヤ!」と歌っておられた声に心から感動し、涙が止まりませんでした。彼は、今、天国でイエス様に出会ったのです。彼の魂は彼の身体から抜け出し、自由に、平安の中、天国の素晴らしさを味わっておられることでしょう。
さて、その後、夕方、自宅に帰ったとき、ドアに一つの袋がぶら下がっていました。その中には、管理人さんのMさんが、父の生前から集めてくれた、アルコール依存症から回復し、復帰し、舞台に戻った記事、記録、写真でした。彼はそれらを大事に集め、一冊のファイルにして下さり、お手紙を添えて、「私は今日、四国に戻ります。」と書いてあったのです。私はとってもショック

 
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でした!「これまで亡父と共に本当にお世話になり、ありがとうございました!」と彼に直接お礼を言えなかった事が、とっても心残りで。。。
私達は、お祝いはいつでも出来ます。しかし、お別れは、その時しか出来ないんです!だから、人とのお別れの時は、その瞬間を大切にして、「ありがとう!さようなら!」と言わないといけないんですね。
Mさんは、四国に行かれたので、又、私が講演会かコンサートをする時は、必ず、彼の連絡先を見つけてお会いしたいと思っています。「Mさん、本当にこれまでお世話になり、ありがとうございました!これからもお元気で退職後の四国での生活、楽しんでくださいね!」

 

神を信じているからといって、人生に起こる試練を免れる事はありません。

CIMG3541.jpg東京のクリスチャンの姉妹からのメッセージです。

「驚き怪しんではなりません。」(1ペテロ4:12)

あなたの信仰は試されている

神を信じているからといって、人生に起こる試練を免れることはありません。信仰はあなたに起こる試練に耐えさせ、結果として、人生において強く成長させるのです。病気や、失業や、人間関係の不一致、個人的な課題から来る試練は、様々な形でやってきます。また、試練というのは短い期間のものもあれば、一生を通じて起こっていることもあります。さらに試練は、自然災害のように、強さのレベルも異なっています。しかし、多くの試練にも共通したことがひとつだけあります。試練が起こると、「なぜこんなことが起こったのか理解できれば!」と言います。聖書は以下の2つの箇所からそれに対する答えを出しています。
(1)「正しい者には災いが多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出させる。」(詩篇34:19)
(2)「いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、称賛と栄光と栄誉になることがわかります。」(1ペテロ1:6-7)
神はあなたのサンタクロースでも、召使いでもありません。あなたが求めている時に、あなたの欲しがっているものをすべて与えるのが神の仕事ではありません。もちろん、神は私たちに恵みを与えることを約束していますが、あなたが“もらうこと”ばかり気にしているときは、自分ほどもらっていない人々の信仰を疑うことになります。しかし、それは間違っています。神の約束を主張すれば、災難を回避できるということではありません。誰がそんなことを言ったのですか?神はそのようには言ってません!聖書にはこう書かれています。「あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。」(1ペテロ4:12)本当の成長はしばしば痛みを伴う試練の中にあります。事実、あなたがその経験をしなければ、あなたは自分の信仰がどれほど強いか決してわからないでしょう。