今日は亡父・岡八朗の命日です。

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今日は亡父の命日です。丸5年が経ちました。

しかし、神様は良いお方です。一人ぼっちと感じた時もありましたが、いつも神様は側にいて下さり、色々な助け人を私に送って下さいました。そして、今は、とても優しい旦那様が私の側にいてくれます。

しかし、時々父に会いたいと思う時があります。話をしたい。一緒にごはんを食べたい。一緒に冗談を言い合いたい。

だから、このブログを読まれている貴方にアドバイスです。

今日、自分の家族に優しい言葉、愛しているという事、感謝の言葉、励ましの言葉、何か良い言葉を投げかけてください。

「家族はいて当たり前」ではなくて、いなくなる時が必ず来るんです。だから、今、お互い話が出来る間に、遠くにいても電話して貴方の声を家族に聞かせてあげてください。恥ずかしくても、家族の事を愛していると言葉に出して言ってみてください。

私達の人生は与えられた時間です。その限られた時間の中で、どれだけお互いに愛し合えるか、助け合えるか、励まし合えるか、神様が与えてくださった家族と、どれだけ良い思いでが作れるか、それは、今日の貴方の一言に掛かっています!

そして、もしも家族がいなくなってしまった貴方、亡くなられた貴方の家族は、全員貴方を愛していますよ!

写真撮影: 高橋靖氏

 

「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように」 コロサイ 3:13

東京のクリスチャングループがいつも神様の愛や励まし、慰め、知恵の詰まった言葉を送ってくれます。

今朝のメッセージが素晴らしかったので、ブログにあげて皆様と分かち合いたいと思います。

photo taken  by my husband, Craig Cross_pond[1].jpg

「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように」 コロサイ 3:13

赦す必要がある人がいませんか?

あなたを傷つける人に打ち勝つ最も偉大な力は、赦しの力です。
あなたが「私はあなたを赦し、もうそのことであなたを恨みません」と言うなら、ふたりの間のネガティブなつながりから、お互いに解放されるでしょう。しかも、それだけではありません。自分自身が“傷つけられた人”であるという重荷から解放されるのです。
自分を傷つけた人々を赦さない限りは、その人々がまとわりつく事になり、さらに悪いことに、一生ついてまわる重荷を持ち続けることになるのです。
私達の大きな誘惑のひとつに、敵に対する怒りに執着し、自分自身を傷つけられた人と決めつけてしまうということがあります。ですから、赦すということは相手を自由にするばかりではなく、自分自身も自由にされるということなのです。これぞ本当の自由への道です。
また、赦すということは必ずしも忘れるということではありません。
たとえ誰かを赦したとしても、その人が自分にしたことは、記憶の中に長い間留まるかもしれません。
その記憶を心に傷として、あるいは場合によっては体に肉体的な傷としてとどめ続けることもあり得ます。しかし、赦すことで、記憶のしかたを変えられるのです。
赦しはのろいを祝福に変えられるのです。
両親の離婚を赦す時、子ども達の愛のなさを赦す時、必要な時に裏切る友を赦す時、間違ったアドバイスをするカウンセラーを赦す時、不公平に扱う上司を赦す時、自分ではどうすることもできない事の犠牲者になるということはもはやないのです。
赦すことによって本来与えられている力を取り戻すことができ、過去の出来事によって苦しめられたり、限界を感じさせられたり、打ちのめされたりすることはなくなります。
あなたには、赦す必要がある人がいませんか?