赦しと愛を体験したシンガー (2008年7月6日号 クリスチャン新聞 10ページ 関西だより より)

本場仕込みのゴスペルシンガー市岡裕子さん(神戸バイブル・フェロシップ)のトーク&ゴスペルコンサートが6月22日、兵庫県尼崎市のJEC ・園田チャペル(和田哲牧師)で開かれた。市岡さんは吉本新喜劇座長として人気を博した故・岡八朗の長女。次々と家族を襲った悲劇の中で信仰をもち、父を支えてきた道程を語り、「アメージング・グレイス」、「きみは愛されるため生まれた」などをパワフルに歌い上げた。

 市岡さんのキリスト教との出合いは、教会付属の幼稚園時代までさかのぼる。このときに祈ることを教わったことは、後の人生に大きな支えとなったという。16歳のとき、うつ病だった母が自殺。発見者は13歳の弟だった。母の遺体を前に泣き叫ぶ父を見ながら市岡さんは、好き勝手のし放題だった父こそ加害者だと思ったと振り返る。傷ついた心を隠し、父を赦せないまま、酒に溺れる父と弟の世話をし、得意の英語の仕事に没頭した。
 32歳のときに渡米。ニューヨーク・ハーレムのメモリアル・バプテスト教会で聞いたゴスペルに魂を奪われる。
 「黒人のすごいおばちゃんたちが体中で歌っていました。『神よ、私はもうぼろぼろです。私は自分の力では生きていけません。私の手をとって家路に連れていって』と。魂の叫びでした。私は泣きました。この歌は自分のことだと思いました」
 教会に通ってゴスペルを習い始めた。教会の人たちは賛美だけでなく信仰の練達者だった。
 「父が自分の人生の加害者だと思ってきました。しかし、聖書はどんな父母も敬えと言っている。たとえ自分が望むような親じゃなくても、恨んできた父を赦し、そして愛しなさいと教えてくれました」
 黒人教会のおばさんの強靭な信仰とゴスペルを通して、市岡さんは神にとらえられた。「私はあの黒人教会のおばさんのように強くなりました」  ブルックリン・クィーンズ音楽院でジャズ音楽を勉強していた途中、アルコール依存症が高じた父の看病のために帰国した。父は胃ガンで胃を全摘出。58歳のときには酔って階段から転落して脳挫傷となり、再起不能を宣告された。弟も酒に溺れ、若くして亡くなった。赦しと愛を体験した市岡さんは、身に合った学業を断念して父を支えられるほど強くなっていた。
 父はやがて断酒に成功し、03年には父娘共著の自叙伝『泣いた分だけ笑わしたる』(マガジンハウス)を出版。急性肺炎で容体の悪くなった父の最期には、ヨハネ14・1~3のみことばを読んで天国に送り出せた。
 「父はゴスペルをゴスペロと言い、イエス様をいえっさんと言っていました。えべっさんみたいに。わしはゴスペロ好き! おまえの魂がわかる! と言っていました」
 市岡さんは歌の合間に力強いメッセージを送る。年々増える自殺者を憂いて、命ある限り互いに励まし合い、愛し合うことの大切さを真摯に説く。会場では涙を流す人もいた。市岡さんは伝道集会、ゴスペルコンサートのほか、人権、福祉、教育などの諸問題についての講演会講師としても活躍している。クワイアの指導でも定評がある。今年の11月22日、タイ・バンコクのインターナショナル・チャーチでのAIDS孤児チャリティー・ゴスペル・コンサートの開催が決定し、今月「市岡裕子インターナショナル・ミニストリー」を立ち上げた。ホームページはhttp://www.ichiokayuko.com