「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」(詩編37:23-24)

東京のクリスチャン姉妹翻訳のメッセージです。励まされました!

「霊の導きに従ってまた前進しましょう。」ガラテヤの信徒への手紙5:25

神の霊の導きに従うことを学ぶ

信仰生活が神との個人的な関係をもつことならば、神が今日も私たちに語りかけておられるのは間違いありません。
しかし、どんな関係も、一方が話すばかりでは築くことはできません。
関係を築くには、まず真剣に向き合うことが必要です。
次に、二人が互いに話して聞くコミュニケーションが必要です。
「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。」(ローマ8:9)
これは、霊の支配に従って応答し、霊の導きに従って決断することを意味します。
神に従うとき、人生は目に見えるものや手で触れるもの、答えがはっきりしているものばかりではなくなります。
信仰によって歩み、神に信頼し、神の声と霊の導きを認識することを学ぶことが人生に加わるのです。
人によっては、これを実践していると主張している人たちを目の当たりにし、そういうやり方に恐れをなし、やりたくないと思うこともあります。
そうすると、霊の導きを感じてもそれを疑い、分析し、理にかなっていないと結論づけて、注意を払いません。
また、人によっては、霊に従いたいと思っても、本当に神が自分に語りかけているのか確信が持てないこともあります。
「これは神の声? それとも自分の欲望?」と迷ってしまうのです。
これは誰しも経験することで、信仰生活にはつきものです。
だからパウロは、「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」と書いているのです。
霊の導きは、一歩一歩学んでいくものです。
どんなに成熟した信仰者でも、ときにはつまづき、勘違いすることもあります。
でも大丈夫。
「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」(詩編37:23-24)