網走監獄

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9月6日の網走市保健センター主催の「こころといのちの講演会」が無事終了後、翌日7日に主催者のOさんに網走監獄博物館に連れて行って頂いきました。

そこで、知った事実、「明治23年過酷な中央道路開削作業の為、人口631人の網走に、囚人1,200名と看守173名が送り込まれました。明治のはじめ、自由民権運動が台頭し、国事犯が急増し、全国的に過剰拘禁となり、政府はこの状態を解決するため、極悪犯、政治犯などの受刑者は北海道開拓の為に労働力として送られ、厳しい寒さ中、逃げ出す事もできないほど周りには何もなく、それらの囚人たちによって20KMの中央道路を網走から旭川に向けて8カ月で開削した。」ということでした。
囚人たちは朝早くから日が暮れるまで重労働を強いられ、道路が出来上がるまえに沢山の人達が疲れ果て、寒さのあまり、6人に1人が亡くなっていったそうです。

その時代の日本は軍国主義で、一般の人々にとっても大変厳しい時代だったと思いますが、囚人は、きっと「人間」として扱ってもらえず、人権など全くない扱いを受けたのでしょう。
罪を犯した囚人でも心はあります。罪を犯した事をきっと悔やんでいる事でしょう。
そして、北海道開拓にはあの囚人達による労力の賜物、文化、歴史がある事を初めて知り、彼らに憐れみを覚えたのでした。
この写真は現在の網走刑務所の前で撮影しています。
現在の刑務所は緑に囲まれた右奥大きな建物の中にあります。
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刑務所の門を出た、現在の鏡橋の直ぐたもとに、この石塔が置かれています。
「私の手は厳しいけれど わたしの心は愛に満ちている」アムステルダムの刑務所の門扉の刻字から 
この言葉を大切に、出所して行かれる受刑者達の事を覚えてお祈り致します。
下の写真は監獄食。現在、網走刑務所内で実際に受刑者に出されている食事を博物館で頂きました。米7割、麦3割で炊いた主食に、副菜がセットになったメニューはヘルシーで、美味しかったです。
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